“2010年代以後の国内ロックシーンを牽引するギタリストの1人になるのでは?”と僕は大きな期待をしている。
北村 和孝(Player編集部)

NON’SHEEPの存在は『Annuciation』(2007年)の際にプロモーションを受けたことで知った。
近年は佐藤雄駿(vo,g)による独自の死生観が描かれた詩世界で注目を集めているNON’SHEEPだが、Playerという楽器にこだわった音楽雑誌に属する耳にとっては、『Annuciation』のデビューアルバムとは思えないほどに洗練されたバンドサウンドや、ポストロックを経過してきたまさに現在ならではのギタープレイ、佐藤雄駿と田子 剛(g)による多彩なソングライティングといったことにまず関心が行った。
本人達がどう思っているのかはわからないが、『Annuciation』はデビューアルバムに付き物のである蒼さみたいなのが他のバンドと比べると明らかに希薄で、もうすでにある程度完成してしまっているバンドという印象を抱いたのを憶えている。佐藤雄駿のヴォーカリゼーションにはその後も変化していく様が窺えたけれど、ヒリヒリとした緊張感を漂わすバンドサウンドにはすでに安定感があった。
が、次作『sad morrow』のレコーディングにおいては渡辺 等のベースやチェロ、遠山 裕の鍵盤楽器を取り入れたりと、また違うNON’SHEEP像を提示してきたので非常に驚かされたのである。彼ら持ち前のポップスペクタクルがより発揮されたという意味でも『sad morrow』は大きかったし、『Annuciation』で抱いていたよりも殊更にスケールの大きいバンドであることもわかった。
そして個人的に初めてライブを観たのもこの頃だが、田子 剛というギタリストに興味を持った。
オルタナムーヴメントはパンクムーヴメント再燃の意味合いも濃かったせいか、3ピースバンドが増えるとともにリードギター・アプローチのバンドが激減した時代だったと思う。
ギターには流行のサイクルがあるのだが、当時はギター的にもジャズマスターやレスポールタイプのギターを愛用するギタリストに何かとスポットが当たり、その波はテレキャスターへと移行していくことになる。
そしてストラトキャスター生誕50周年を迎えた2004年以後、楽器誌も度々ストラトキャスターを取りあげる機会が増えて、これを機にストラトキャスター熱も再燃していった。
これはストラトが好きなギタリストならばわかる感覚なのだけれど、ストラトには他のタイプのエレキギターとは異なる独自の浪漫が備わっていて、“憧れはあるが腕に自信がなくて弾くのが恥ずかしい”なんて考えについ駆られてしまうところがある。
本来どんな弾き方をしても自由なはずだが、偉大なるギターヒーローが愛用してきたイメージも強く、“やっぱりカッコ良いギターソロをキメないとな…”みたいなプレッシャーを勝手に抱いてしまうのだ。
オルタナ以後、ストラトとは違うギターに手を延ばすギタリストが多かったのもこの辺のイメージが大きい。
同時にストロークやリフ中心のアプローチによるプレイで、ストラトが長けている機能的なスペックに頼る必要のなかったギタリストが多かったことも起因しているのだろうが。
反面、楽器誌の一員としてはストラトヒーロー的なギタリストをずっと待ちわびていた。
個人的に流れが変わったと思ったのは00年代後半に入ってからである。ポストロックムーヴメントがやや落ち着き始めた頃、クリーントーンとドライブトーンを上手いこと使い分けて、リードギタープレイに挑むストラトギタリストが少しずつ現れだした。
前置きが長くなったが、僕にとってそんな注目すべきギタリストの1人が田子 剛である。
佐藤雄駿が堅実なリズムギタリストとしてテレキャスターを刻む傍らで、ストラトのハイポジション主体で泳ぎまくるようなリードプレイをキメる彼の姿は非常に印象的だった。
それこそメイプル指板に吸い付くような俊敏な指のタッチが反映されたシャープなリフを主体に、サビでは暴れるようなドライブトーンも放つし、ギターソロの場面も多く、しかも1パターンではなく実に様々なアプローチに挑み続けている。
レコーディングではストラト以外のギターもプレイしているようだが、ライブではストラトキャスター(以前は白いラージヘッド・ストラトだったが、最近はエリック・クラプトン・シグネチャーを使用)がトレードマークとなっているようだ。
とにかく鮮烈なのは「サメナイユメ」で顕著なひたすら歯切れ良いクリーントーンによるスピーディなリックである。
このリックを発展させるかたちで技巧的なギターソロも聴かせてくれるが、指先による繊細なビブラート/トレモロ効果を駆使するギタープレイは特筆すべき点だ。音作りに関してもこの指先のタッチがダイレクトに反応するセッティングを追求しているように見受けられる。
プレイスタイルは『Annuciation』以後、より幅を広げてきており、『sad morrow』ではジャジーなアプローチも魅せていたし、現在製作されている新曲においてもギタープレイは非常に雄弁だ。
“2010年代以後の国内ロックシーンを牽引するギタリストの1人になるのでは?”と僕は大きな期待をしている。
決して絶望的ではないにしろ真摯でヘヴィな佐藤雄駿の詩世界がありつつも、NON’SHEEPの楽曲はポップテイストを失うことがない。それは佐藤、田子御両人がキャッチーなメロディ作りに長けているとともに、田子 剛が様々なテクニカルプレイを織り交ぜつつひたすらギターで歌っていることが大きいのだ。
その証拠に印象的な歌メロをふと口ずさむ自分がいるように、「サメナイユメ」もリックやギターソロのフレーズが頭をぐるぐる回っているときがある。
“ギターどうこうじゃない音楽ファンにどれだけギターフレーズを口ずさませるか?”…すでに高い完成度を擁しているNON’SHEEPにとって、さらなるブレイクへの起爆剤って案外そういうところかもしれないって思う。
ところで最後の最後に訂正したいことがある。
先述でポストロックを経過したギタープレイ云々の箇所があるが、田子 剛本人に確認したところ、「なんかよく言われるんですけれどポストロックは全然通ってないんですよね(笑)」。
…田子 剛、なんとも底知れぬ可能性を秘めているギタリストである。
北村 和孝